
1997年2月
学級づくりハンドブック【6年生】
学級づくりQ&A
Q.6年生になって男女を意識する気持ちが強くなってきたのか、男女仲良く何かに取り組んでいく姿勢が弱くなってきた。心のどこかで異性に近づきたいと思いながらも、実際の場面では男女の対立も見られるようになってきた。こんなときどうしたらよいか。
A.性の再認識の時期
まず、6年生という学年の精神的な発達を考えることが大切です。成長の早い女の子は、中学年の頃に初経を迎えます。そして、「自分は女であった」と性の再自認をすると同時に、異性を意識するようになります。初経を迎えていない女の子、精通を迎えていない男の子も、芸能人へのあこがれの気持ちを持ったり、特定の異性に対して好意を持つことも多くなります。しかし、大人のように感情の経験が豊富ではありませんから、とても浅薄な考えであったり(子ども心には精いっぱいの真剣な気持ちなのですが)不安定な気持ちです。また、自分の中には、「大人になりたいという気持ち」と「まだ子どもでいたいという気持ち」が共存しています。その気持ちは、背伸びしてみたり、甘えてみたり・・・いろいろな形になって表出します。
そこで、冒頭の質問のような事態も出てくるわけですが、それに対処するには、大きく分けると、二つのことが挙げられます。まず、一つは、その場その場での問題への対処方法の確立です。もう一つは、男女が仲良くできる学級の体制づくりです。勿論、担任の「性による差別をしない」という構えは大前提です。
問題はみんなで
男女間での問題だけでなく、友だちに関するトラブルはいろいろ起きています。それを問題として話し合う場が必要です。私の場合は、ちょっと厳つい名前ですが、「問題提起」という時間を帰りの会に位置づけています。ここで、問題を感じた子が話し合いの提案をします。当番は、それを受けて意見を聞きます。そして、その場での一応の対処を決定します。その場だけで、解決が難しい場合には、月一回の学級の問題について考える学級活動の時間にじっくり話し合うことにします。
こういう活動を繰り返していると、問題を問題として意識する力がついてきます。また、その問題は話し合いによって解決していくことができるんだという意識ができます。そして、学級内の問題を自分たちで解決し、よりよい学級集団にしていく自信を持ちます。とりわけ男女間で起きる問題は、お互いに憎んで起こるのではなく、考えの行き違いや異性ゆえに起きる場合が多いので、人間的な視野で考えるように助言していけば、良い結果が得られます。
『学級遊びについて』 森 千佳(仮名)
※学級遊びの係から「来ない人がいる」「来ても一生懸命やらない人がいる」と問題が提起されました。そのときの学級会での話し合いを経て。
私は、学級遊びに来なかったり、いやいややっている子たち(自分)の気持ちが良くわかりました。
学級遊びのドッジボール。ドッジボールはきらいなこと。外で遊ぶのや、スポーツをするのがきらいなこと。学級遊びよりも係の仕事をしたり、友だちとしゃべってる方が、ずっと楽しいこと。来なかった人たちややる気のない人は、たぶん、こういうことだと思いました。
男子はこういうことをするのが好きだから、楽しい。先生も好きだから楽しい。発表で、男子の気持ちが分かりました。来ない子の気持ちも分かりました。来ない子の気持ちは、来ない子たちしか分かってくれないと思いました。それは、男子はドッジボールが好きだからです。好きな人がきらいな人の気持ちが分かるわけないと思います。気持ちを分かってあげれないのだから、しょうがないと思います。・・・
だから、学級みんなが仲良くなればいいと思います。
ここで、男の子の好み、女の子の好みというものについて理解したことが分かります。「気持ちが分かるわけない」という点については、みんなにも返し、考え直したりしました。
“共働”“共同”“協同”
学習はもちろんのこと、いろいろな活動を男女いっしょにできるように仕組みます。
例えば、体育の学習でも男女別にチームを作ったりせずに、そこでの学習内容を明らかにして、混合のチームを作ることです。当然、問題も起きてくると思われますが、まず、その問題をも子どもたちが考えるべき内容であり、学ぶべきことであるという教師の大きくゆったりとした受け容れ姿勢が必要です。そして、そこで、本音を出させながら、学習内容にすりあわせていくのです。きっと、力に違いのある男女が共に学習していることの良さがわかってきます。
また、仕事を分担する場合も男女組みます。男子の力の強さ(いわゆる腕力)は、めざましいものがあります。女子の細やかさも目立ってきます。お互いの良さにきっと気づくはずです。それが、素直に認められず、かえって反発してしまうこともありますが、そこは、子どもの声を教師が拾ってやって、みんなに返していけば、子どもたちの心の中には「男女共働の良さ」が落ちるはずです。
「学級遊び」を進めていくのも一つの手です。ひとり遊び、読書などの好きな子もいますが、集団遊びの良さが感じられない子は少ないです。子どもの係として「学級遊び係」を位置づけ、自主的な運営による遊びを展開していきます。遊ぶ内容についても「ドッジボールは男子は楽しいが、女子にはつまらない」「けいどろ(どろぼうと警察に分かれてやる鬼ごっこ)は女子は楽しいが、男子にはつまらない」などと意見は出てきますが、やってみるとそれなりの楽しさを見つけていきます。また、問題が起きたときには、前述のような話し合いを経ていくことにより、子どもたちも変わっていきます。
『学級遊び』 佐藤 恵
今日、ふれあいタイムにフットベースをやりました。私と容子さんは、一塁を守りました。私は、一塁の近くにいた野村君に、
「ボールを一塁に送ってね。」
と言いました。すると、ちゃんと一塁に送ってくれたので嬉しかったです。男子は、女子に気を遣ってくれるから優しいなあと思いました。私は、女子が弱いから気を遣ってくれるのかなあと思いました。
※以上述べたことは、男女の考え方の特性についての一般論であって、基本的には個人個人、考え方・感じ方が違い、例えば運動の好みについても男女で決まっているものではありません。このことは、考えのどこににおいておきたいものです。
Q.今までの経験だと、1年生でも小学校に来たら、基本的な学習態度を指導してきた。子どもたちも相手の話を聞いたり、落ちついて座っていることもできた。しかし、個人の意欲関心と称して、自由な行動と共に勝手な行動も許してしまう風潮がある。その影響か、6年生になっても、みんなで何かをやったり、人の意見を採り入れたりすることができにくくなっている。また、価値観の多様化の影響か、今までやってきた教育実践が子どもたちに受け入れられないことも多くなった。どうすればよいのか。
A.ロマンを共に
いつの時代でも真理は変わらないはずですし、教育のロマンもそんなに変わらないのではないでしょうか。今までの経験というのは、きっとその先生の真理に基づくものでしょう。また、その先生が追い求めたロマンを実現するための実践だったと思います。
まず、自分のしたい教育の理想を掲げることです。といっても、何が真理か判断することはなかなか難しく、自分のめざす教育がどんなものなのかということは、そう簡単に決められるものではないと思います。また、先生自身も周囲の社会変化や自身の成長によって、変わっていきます。そこで、その理想も変わっていくでしょう。ですから、とりあえず「今、自分がしたいこと」「今、自分がしたい教育」をはっきりさせることです。
しかし、質問にもありますように、その理想は、今、目の前にいる子どもたちの現実、事実からは離れていることが多いでしょう。そこで、自分が絶対に譲れないこと、つまり、この子たちに何がなんでも学びとらせたいこと、考えてほしいことを選ぶことが得策だと思います。それは、こういう事実を呈している子どもたちだから、という実態から来るものもあるでしょう。そこでは、子どもたちを変えてやろうなんて気負いは必要ありません。子どもたちと共に未来を見つめ、策を講じていけば、やがて、先生が目指したところに落ちついてくるはずです。ここで、気負い、張り切りすぎてしまうと、(つまり、自分を強く押しすぎる)先生の空回りに終わったり、時にはかえって子どもたちの反発を受けます。そうです。ピエロのように、また、ポーカーフェイスを装って、骨だけは守ることも時には必要なのです。そして、もし、うまくいかなくても、子どもたちに先生の思いを誠実に(押し売り、押しつけがましい情けも時にはいいですが、あくまでも誠実に!)伝え、一緒に考えてもらいます。そこでいろいろ話をしているうちに、子どもたちの中からヒントが出てくるはずです。『学校』のせりふではありませんが、「教育とは子どもに教えるんじゃなくて、子どもから学んで子どもに返してやること」です。
理想として考えていたことに絡んだ子どもの声が出てきたときが、チャンスで、その声にこちらから共感していき、みんなに広めるようにします。そうすることは、子どもたちにとって、自分たちが主人公になって学級作りをしているという意識を持つことにつながりますし、先生もまたその仲間なんだという連帯の気持ちを生むことになります。
こころとこころをつなぐつうしん
学級通信にはいろいろな役割がありますが、私の場合は、ほとんどが子ども対象で、そのとき、その場の考えたいこと(ことのねうちや問題提起など)をリアルタイムで文字として残すことに重きを置いています。ここで、子どもから学んだことを学級のみんなに返していくわけです。そこには、エディターとしての私が存在するわけで、ここが自分のやりたい教育に向けての取捨選択の場となります。
例えば「明日は、体育でこの前の学習を深めたい」と思っているところに、子どもの日記で同じようなことを考えていたものがあったとします。それは、早速次の日の朝、提示する資料にできます。
また、「つうしん」は、家庭に持って帰れば、子どもたちが今、何を考えているのか家庭で知る手だてにもなります。高学年になるにつれて話をしなくなる傾向にあるので、家庭での話題提供物として役立っているというありがたい声も親さんから聞かれます。
発行する日は、朝の会や帰りの会で読みます。時には、補足説明をしながら読むのですが、だんだん熱が入ってきて、俳優になったようなつもりで読んでしまうこともよくあります。ここでは、学級のみんなが「つうしん」を媒体にして「こころとこころをつなぐ」時間なのです。また、そこで考えたことが心に残り、発展的に考えを深めたり、行動のもとになったりします。文字として残っていくので、子どもたちの間にも「いつかのつうしんに書いてあったでしょ。」という形での会話が出てきます。
発行する労力は必要ですが、自己満足だけではない何かを子どもたちと共有できます。
Q.6年生ともなれば、テレビや雑誌、漫画などからの情報で、ずいぶんいろいろな性知識を持っている。しかし、俗っぽいものが多く、間違いも多い。そこで、より豊かな内容の学習をしたいのだが、父母の中には、学校で教えなくても自然に身に付くのではないか。と消極的な意見が多い。また、うちで質問されても答えられず、困るのでやめてほしいという声もある。どのようにして性教育を進めていったらいいのか。
A.セクシュアリティーを身につける
まず、大切なのは、教師側が性教育の大切さを十分認識し、揺らぎない考えをもつことが大切です。現場の教師の多くが自分たちが小学生の頃に、性教育をきちんと受けたことがない世代です。大学までの教育の中で、「性教育の進め方」の学習をしている人も少ないと思います。つまり、豊かなセクシュアリティー(性に対する観方)を身につけにくい環境の中で生きてきたと言えます。最近では男女差別(やはり“男女”と言って“女男”ではないところも問題ですが)がなくなりつつありますが。
そこで、まず、教師自身が、性についてどんな考え方を持っていたらいいのか、子どもの性についてどのように考えていったらいいのか、学習することです。それは即ち教師自身が豊かなセクシュアリティーを持つことになり、性教育実践の基盤となります。
どんなこともそうなのですが、ここでは、日々学習していくという教師の向上心も大切だと思います。もっとも、「多忙化」と「バーンアウト」などの言葉に代表されるように、最近教師が精神的にまいっていて、向上しようという意欲を持ちにくい状況もあります。ですから、まず、教師のやる気を大切にした教育活動を保障する状況づくりも大切です。
子どもと共につくる
さて、具体的にどんな実践が6年生では考えられるのでしょう。
一つは、親や周りの教師にも理解を求めていく活動が必要です。それには、子どもたちの意識や知識を確かめるアンケートなどが役立ちます。子どもたちの事実を親に訴えることで、性教育の必要性はずいぶんと理解されやすくなるはずです。また、社会状況を併せて知らせていくことも必要でしょう。今、子どもたちが読んでいる、見ている雑誌やテレビには間違った性情報も一杯です。勿論、きちんと正しいことを伝えているものもありますが・・。
そうすれば、子どもの心身ともに健やかな成長を願う親ならば誰もが理解を示してくださるはずです。
もう一つは、子どもの事実をつかみ、子どものニーズに合う学習を作り出す教育実践が必要です。
ここでも、アンケートによる意識・知識調査は役立ってきます。しかし、学校でとるアンケートということで、やや本音が出にくいこともありますから、そのあたりは、雑誌などのQ&Aも参考になると思います。6年生ともなると、「セックスしてしまいましたが、赤ちゃんはできるのでしょうか。」とか「小学生がセックスをしてもいいですか。」などという質問も寄せられているようです。また、子どもたちにアンケートをとると同時に、親さんにも「どんな性教育を望んでみえるか」アンケートできると良いと思います。
子どもの実態がつかめたら、学習時間を確保します。子どもたちが知りたい、考えたいと思っていることに対して、不満が残らない、けれども自分たちでももっと探求したいという希望がもてる程度の内容を考えます。
5年生の保健と理科の学習で「第二次性徴」「ひとのたんじょう」などのテーマは扱っています。6年生では「エイズ」にかかわるテーマを「病気の予防」の単元と絡ませた保健学習、「女性差別と人権」というテーマを歴史や政治の視点から見ていく社会科学習や「障害者と性・共生」「高齢者と性・共生」というテーマの家庭科学習などが学ばせたい内容です。また、過去の学習で不十分だった内容についての子どもたちからの要望があることも考えられます。
子どもたちの「学びたい内容」と教師側の持っている「学ばせたい内容」をあわせ、内容を構成していくと良いと思います。この二つが親の願いに沿う形で進められていけば、学校での性教育に対する理解も十分なものになると思います。その際には、学習プリントや学級通信などで、学習内容についての報告や子どもたちの感じ方を親に伝えていくことが大切です。
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